YUMI KORI ART WORKS

2012年3月の記事

言葉なんていらない。

— film " the Artist" reminds me to think if we need to speak. —

機中でartist という映画を見た。これは、サイレントフィルムから音声入りのトーキー映画に切り替わる1930年頃をテーマにつくられた映画で、映画自体が白黒でおまけにサイレントフィルム。それだというのに、最近アカデミーショーを受賞したというから、興味しんしんだった。感想としては、「役者のしゃべりがなくて、こんなに感動するのだとしたら、言葉なんていらないのでは。」音楽、演技、カメラワーク、すべてがひとつになって言葉を超えた「ことば」を作り出していた。
機内で「言葉」と「振る舞い」が乖離した、慇懃無礼なフライトアテンダントの態度を見ていたら、ますます「言葉」の意味を考えさせられてしまった。

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飛行機の中で考えたこと

— Tokyo-NYC, 13 hours flight, not speaking a word to the neighbors. —

ニューヨークへの飛行時間は、約13時間。その間、隣の席の人とは、挨拶ひとつ交わさない。いつからこんな不自然が普通になったんだろう。10年ほど前までは、隣の人と話が弾み、名刺を交換し、友達になったこともよくあったのに…。考えてみれば、エコノミークラスの狭い椅子で毛布にくるまって隣同士で寝ている私たち、挨拶のひとつぐらい交わした方がずっと自然で居心地もいいはず。(でも、本当は、見ず知らずの乗客と突然急接近し、地球の裏側に旅する間、狭い椅子で隣同士に並んで眠るということ自体、全然自然じゃないのだけど。)
まわりを見渡しても、隣どうし話をしている人はほとんどいない。国際線の飛行機がこうなのだから、人と人の関係性が希薄になっているのは日本だけでないよう。今回は、13時間、結局、声をかけそびれたままだったけど、今度のフライトでは、隣に座った人に自分の方から微笑みかけて挨拶をしてみよう。

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正しく堆積した時間はまろやかな空間を生む。

— Ginza Okuno Building, built in 1932. —


銀座奥野ビルを訪ねた。銀座の芸術発信地として有名なビルらしいが、そんなこととは全然知らず、懇意にしていただいている編集者のMさんの事務所に伺っただけだった。ところが、建物に一歩足を踏み入れて、そのビルのもつ雰囲気に思わず感嘆の声をあげた。時間が折り重なって古びた感じが実に良いのだ。玄関のスクラッチタイルは錆感が美しく、昭和7年(1932年)に建てられただけあって、階段の手すりなどいたるところに凝った装飾が残っている。昭和初期にタイムスリップしてしまったようだ。経緯はよくわからないが、ビルは2期にわけられて2棟として建てられており、階段室の窓から別棟の階段室が見える。時間と空間が複雑な入れ子状になっているみたいで、その風景がこれまた不思議。手動の蛇腹の扉があるエレベーターは、ゆっくり丁寧に扱わないとちゃんと働いてくれないらしく、「行き先ボタンを同時に2つ以上おすと混乱しちゃうのよ。」と、半畳ほど広さのエレベーターに同乗した住人がおしえてくれた、その建物をいたわる感じの表現も新鮮だった。

7階の事務所を訪ねた後、建物内を探検することにした。Mさんが「学園祭のノリなのよね。」とコメントされたように、各室はそれぞれ実に独創的に使われていた。万年筆の修理屋さん、画廊、デザイン事務所…。いちばん小さい部屋は2メートル角ぐらいだろうか。扉を開けるごとに別世界が現れるのが楽しくて、ワクワクしながら各室を訪ねた。
Mさんに言われて気がついたのだけれど、各室の窓の前に花壇も実に良い。上階の部屋にいても土に香りがする感じ。外観をおもてから見ると、窓の前にまちまちの木が植えられている、その自由な感じも素敵だっだ。

奥野ビルにアートの風を吹き込んだ元祖だという3階のギャラリー巷房の事務所を見せていただいた。しっとりと居心地の良さそうな事務所だった。オリジナルのドアや家具が残っていて、昭和初期のロウテクだけど暖かみのある暮らしの様子がかいま見れた。木製の玄関ドアの上部には無双窓がついていて鍵を閉めたまま通風できるようになっており、3尺四方の三和土の玄関にはもともとは小さなキッチンがあったらしいが、今は小さな陶器の手洗いに変えられていた。部屋は、三和土から数センチ上がった堅木の板張り。広さは6畳ぐらいのワンルームだろうか。半間の両開き戸の押入(下部は玄関から使う下足入れ)と、天井までの作り付けの棚があった。棚の下部は折りたたみ式のベッドになっており、日中、それを隠すためのカーテンレールもあった。家具の面材はラワンベニヤ、枠材はラワンの染色。壁と天井の境目はアールの左官仕上げ、壁には半円型のニッチも残っていた。これは、奥野ビルの2期工事の時に窓がつぶされた跡だという。窓は4尺角ぐらいで、アンティックな鉄のレバーハンドルがついている細いスチール枠の両開き。素敵なデザインだったけれど、シングルガラスで隙間風もありそうで冬は寒そうに見えた。けれど、奥野ビルの住人達はそんなことは全く気にしていないどころか、むしろそれも含めて、古き良き時代のスローな暮らし方を体感する仕掛けとして楽しんでいるようにさえ見えた。

何と表現したらいいのだろう。この銀座奥野ビルでは、時間が正しく刻まれ、ちゃんと堆積している感じがした。歴史の時間がビル全体の空気をまろやかにし、そこにいる住人もみんな優しい雰囲気を醸し出していた。新築の建物にはない空間の柔らかさ、何とも言えない居心地良さ。こんな素敵な場所が銀座に隠れているなんて!東京って本当におもしろい。

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そらとうみのあいだ

— the Sky, the Sea, layers meet and I become transparent. —


夕焼け雲が映りこむ湖面に遊ぶ鯉の群れ。
鯉は天空を泳ぎ、水の色は刻々と変わる。
空と海がこうしてひとつに重なり、
夢の中に現れるかの幻想的な映像を見ていると
天地が逆転したような錯覚を覚え、
自分が透明になってしまったように感じる。
足下が揺らぎ、平行感覚がなくなった瞬間、
鴨が一羽、その絵画に入り込み、
映像は現実に戻った。

ニューヨークから友人が訪ねてきた折りに木場の美術館を案内し、
ついでに黄昏時の清澄庭園を訪ねた。そこで出会った風景の日記。

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