YUMI KORI ART WORKS

2011年12月の記事

こんな風に育てられたかった。

— Treat people the way You want to be treated. —

昨日、恒例の女子会をした。2人とも私が10年以上も前に設計させていただいた建主の方。おいしい食事とお酒をいただきながら、会話はいつしか人間関係の話題になった。もともと保母をしていたTさんは、子供と一緒にいるとき、「自分がこんな風に育てられたかった。」と思いながら子供達に接していたという。そして、大人に対してもそう接するようにしているらしい。・・・なるほど。考えてみれば、しごくあたりまえなことなのに、なぜか目からウロコ。人間は、いくつになっても子供と同じかもしれない。

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これからのホスピスを考える。

— Seeking for new form of Hospice through Architecture Design Studio @ Tokyo Science University. —

今年は、東京理科大理工学部建築学科で設計製図の授業を受け持ちました。設計課題は、『地域に開かれたホスピス』。病院に付属するような緩和医療病棟だけでなく、在宅ホスピスも視野に入れ、新しい町や住まいのあり方を提案してもらうという課題に取り組んでもらいました。終末医療を考えることは、生きることについて考えること、そして家族関係や地域と住まいとの関わりについて考えること。住宅、集合住宅、医療・福祉施設、まちづくりの複合課題のようなものとなり、ちょっと3年生には難しいかなと思いましたが挑戦してもらうことにしました。
先週の金曜日12月23日が全体講評会でした。学生の中には、ケア付きのシェアハウスやグループホームなど、集まって暮らす新しいかたちの提案や、図書館やギャラリーなどがある新しい集落のようなホスピスの提案もあり、バラエティーに富んだアイディアが沢山ありました。また、どんな部屋に居るのが幸せかという、空間と人間の関係について追求し、自然の一部のようなオーガニックな建築を提案した学生いました。

この課題に取り組んだことによって彼らが新たな視点を得て、将来建築の設計者として社会に出たときに役に立つ経験になったらいいなと思います。

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秋岡芳夫展@目黒美術館

今から20年近く前、私が設計の仕事を始めた頃、自分の足の長さに合わせて椅子の足を切る運動をしている人がいるという話を聞いてびっくりした。そして、その人が作ったモノモノという店が中野にあり、そこには椅子のうえであぐらがかける日本人向けの椅子があるという話もきいた。高度経済成長の時代に育った私にとって、みんな西洋的な生活を目指し、椅子とテーブルの家具に会わせて生活を変えようとしていた日本のなかで、その話はとても新鮮に感じた。
今日、展覧会に訪れるまで、秋岡芳夫さんがその張本人だということは、ぜんぜん知らなかった。目黒美術館での回顧展、あまりにも多岐にわたる膨大な作品群にただただ目を丸くするばかり。実際に自分自身で手を動かして作ったもの(700個くらいある竹とんぼ、折り紙の動物たち、銅板画、絵本など)から、著作、プロダクトデザイン(カメラ露出計、ラジオ、車など)、グラフィックデザイン(装丁)、教育素材(科学と学習の付録)様々な道具や民芸品のコレクション。そして自分が直接手を下して作ったモノだけでなく、各地の地場産業と結びついた新しい木工民芸品の開発、そして、ものづくりをとおして、人と人、人とモノとのつながりを再構築していく活動。
そんなに忙しいのに、手を動かして竹とんぼを作るという遊び?を生涯し続けている。ひとつの竹とんぼをつくるのに約6時間かかると書いてあったので、つまりほとんど1日がかり。こんなにたくさんの仕事をしながら、よくそんな時間があるよなあ。世の中にはすごいクリエイティビティのある人がいるものだ。
秋岡さんは、おもしろいことを書いていた。「手には、単純作業をさせない。手は同じことをするのを否定する。同じことなら機械にさせろ。」まるで、手が自分とは離れた人格をもっているかのように書いている。だから700個以上もある竹とんぼ、全部かたちも働きもちがうらしい。

ともすると頭でっかちになってしまう私、もっと自分の体や手を使っって考えなくちゃと思った。

残念ながら展覧会は12月25日で終了。リンクはこちら。http://mmat.jp/exhibition/archives/ex111029

 

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そうはいってもショッピングは最高のセラピー

— Shopping is an ultimate therapy session. —

「時々、意味もなくデパートをまわって店員さんとの会話を楽しんだよ。」離婚した直後、孤独だったけど、知り合いとは話がしたくなかったという友人の発言。確かにデパートに行けば、みんなニコニコして話してくれるし、首をちょっとかしげるだけで、次々と私の気に入りそうな品物を並べてくれる。そして、本当はどうかわからないけど「すごくお似合いですよ。」と必ず、ポジティブな答えが返ってくる。自分が何を言っても否定的な態度や言葉をもらわないなんて!確かに、最高のセラピー!。
どうして本当の肉親や友達がいつもポジティブに、優しく支えあえないかというのは永遠の課題だけど、それが真実。・・・そして、その真実から逃れてデパートの店員との嘘の会話を楽しみに行く。・・・だけど、その嘘の会話の方が、カラカラに乾いた私の心に潤いを与えてくれる、思いやりと優しさに満ちた声の響きだったりするのだ。

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もらって複雑な気持ちになる手書きの手紙

— Not 100 % pleasant Hand writing letter. —

今年、受け取った手書きの手紙はたぶん年間通して5-6通だと思う。でも、もらってうれしかったかと聞かれると複雑な気持ちだ。というのも、その差出人はみんな私のよく知らない人たちだから。私が1度か2度買い物をしたブランドショップの店員さん、マンション売買の不動産営業マンとか。・・・みんな親密ささえも商売の道具に使ってるですよね・・・。本当に世の中、狂ってきているような気がする。きっと、その人たちだってビジネスのためには手書きの手紙を書いても、自分の親や友達には手書きの葉書とか書いたりしていないに違いないんですよね。
年末も近くなり、このところ知り合いから転居を知らせるはがきなどを何枚か受け取った。でも、ほとんどができあいのデザインに紋切り型の挨拶文。宛名も印刷されているものも多く、差出人の気配のひとつも伝わらない。
・・・だた、そんなこと言っているくせに自分もしばらく手書きの手紙なんて書いてない。

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ホノルルの南西380kmの海洋を新宿で楽しむ。

デイヴィッド・ボウエンのテレプレゼント・ウォーターという作品を新宿のICCで見た。
細い木材がグリッド状に組み合わされ繊細な構造物が天井から吊られ,波のように動く。この動きは,海洋上に浮遊するブイで観測される波のデータを反映したものらしく、アメリカ海洋大気圏局(NOAA)が公開するホノルルの南西約205海里(≒380km)に位置するブイのデータを利用しているという。遠く離れたの海の波の動きがほぼ1/12の縮尺で再現された作品。
こういった自然を写すだけの「翻訳」的な作品は、いつも「あっそー。それで?」という気持ちになってしまうが、なぜかこの作品は、いくら見ていても飽きがこない上に、私の心が太平洋の遠くに旅をはじめ、その宙に浮いた構造物と海が重なって見えてきた。こういう単純な作品もいいもんだなあーと思った。

展覧会情報は、http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2011/Openspace2011/Works/davidbowen2_j.html

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監視されてるのが当たり前の日常。

真暗な展覧会場に一歩足を踏み入れると、機械音と共に一斉に無数のLEDランプが動き出す。それぞれにビデオカメラがついていて侵入者であるわれわれ観客の映像を撮り、会場の後ろにあるスクリーンにランダムに映し出す。これは、三上晴子さんの《Eye-Tracking Informatics——視線のモルフォロジー》という展覧会。作品の中に身を置いていると、現代、私たちの置かれている状況が目に見える形で実感できる。残念ながら新宿のICCでの展示は12月18日で終了してしまったが,山口情報芸術センター [YCAM]での展示は,2012年3月25日まで開催しているらしい。
常時接続のインターネット、勝手にメールをスキャンして広告を付加してくるgoogleのGメール、GPS機能付き携帯電話など、監視されているのが当たり前になってしまっている私たち。その上、Face bookやTwitterで、頼まれてもいないのにさらなる個人情報を垂れ流し続けてる。みんな頭がおかしくなっちゃっているのかなあ。わたしもFace Bookやめようかなあ。

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