YUMI KORI ART WORKS

2012年10月の記事

記憶を再現する機械!ジーンズの皺を人工的に作り出す。

— Creating Artificial Trace, at Service tec Japan,  —


使い古されたジーンズの皺をscanして真っ新なジーンズに映し込むという不思議な機械を見た。皺は、記憶だ。つまり、これは、誰か知らない他人の経験や記憶をあっという間に写し取ってしまう機械ということ。デニム生地は、表面を薄く摺ると中白の部分が現れるため、表面をレーザーで焼けば簡単に色落ちさせられる。そこで、ジーンズを穿き込んだ時にできる「ヒゲ」や、擦れてできるアタリ(色落ち)を人工的に作り、USED感をだすこの手法が発明されたらしい。

なぜ使い古されたジーンズの方がかっこいいと感じるのか良くはわからないけど、この「皺を愛する心」は、どこか「侘び寂び」に通じるような気がした。この不思議な機械、建築の素材作りやアート作品に使えそう!!いろいろその使い道を想像しているうちにワクワク楽しくなって、何枚も写真を撮影、ビデオまで撮ってしまったので、ここで公開しまーす!
一昨年、私が内装設計をお手伝いした株式会社サービステックジャパン 横浜オフィスの2周年記念パーティーでのデモの様子。

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公園の風に揺れるサウンド・インスタレーション

— Sound Installation in Inokashira park. —


公園に一歩足を踏み入れると、風の音に混じって方々から不思議な音が聞こえてくる。耳をすますとそれは木の間につり下げられた竹のオブジェから聞こえてくる。ガムランの音色のようで、聞いているだけで安らぎを感じる。作家は、松本秋則さんという方らしい。こういうローテクで気負っていない作品は、見ているだけで幸せになる。
10月28日までの展示ということなので、先週につづけて今週もまた、公園の木陰で空を見上げながら作品を楽しんできました。

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母の背中を見て育つ。。。

— Enjoy looking at my mother biking to the Airovics school —


後期高齢を迎えた母が、最近エアロビクスとピラティスを始めた。
実家に帰ったとたん「ちょっとエアロビ行ってくるからね!」っと、母は、ヨガマットを片手に自転車に飛び乗ってコミュニティーセンターに走って出かけてしまった。せっかくなので、マンションのバルコニーから母の後ろ姿を撮影。こんなアクティブな母の背中を見ながら育つ?わたしもあんなに元気な後期高齢者になれるかなあー。

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空き地を囲うプロジェクト?

— Wrapping the Emptiness in Tokyo. Beyond Christ Art Project? —


空き地が、まわりに建設中の現場仮囲いシートで、囲われている。
地上げに失敗した空き地だろうか?
空き地という「空白」が布で包まれているというこの状況、どこかコンセプチュアルなアート作品のようだ。どこかナンセンス感が漂いながらも、敷地について、空間について、土地を所有するということについて、いろいろ考えさせられる。
こんな作品、作ってみたいとは思うけど、普通は予算がなくてとても出来ない。でも、こうやってヒョイっと、偶然に実現されている。町は、見方によっては美術館よりずっと楽しい。
何でもかんでも囲ってしまうラッピングの作品を作ったのは、アーティストのクリスト。しかし、いくら彼らでも、まさか空き地を囲うわけに行かなかっただろう。。。
これは、クリストを超える偉大なアート作品かも!!!

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料理を通して建築を学ぶ?

— Leaning Architecture through Cooking! —

先日のBBQでの出来事。教え子の建築学科の学生に準備を手伝って貰った。
「カボチャを蒸すから、3センチ角ぐらいの大きさに均等に切ってね。」簡単な事だと思って気軽に頼んのだが、その成果物に目を丸くした。5分後にまな板の上に並んでいたカボチャは、厚みが1センチから3センチくらいまで、まちまちだ。
「え?これじゃ、調理時間に個体差ができすぎて困るよ。ほら、蒸し器をみてよ。蒸気が均等に当たって、表面から内部に伝わる熱が同じになるように切らなければ、柔らかいところと堅いところの差がありすぎてうまく火が通らないよ。」
そんな当たり前のこと、まさか説明しなければならないとは、思いもしなかった。
「カボチャのひと切れ、それぞれの容積が均等か、いやいや体積だけの問題ではない。表面から内部への距離感が同じくらいか。」
自分が今までそれらを瞬時に判断しながら、野菜に包丁を入れていたとは気がつかなかった。
でも、この感覚、建築にも通じるんだよね。
たとえば、部屋の容積と光の関係。障子で囲まれた部屋があるとしよう。カボチャの表面から蒸気が入り込むように、障子を通して光が浸透する様子を想像してみてほしい。同じ容積の部屋でも丸い部屋と、細長い部屋とでは、中心部の明るさは全く違う。
あー、こういう当たり前のこと、人は日常生活の経験を通して学んでいくんだなあー。
学生には、建築教育とか大学で学ぶ「学問」だけでなく、いろんな事をする機会を作ってあげたいものだと、つくづく思った。

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